NO27. 成人式と祭り

 沖縄の成人式会場に乱入した車の周りでもみ合う、若者と警察官の映像をテレビで見ながら、ふと何かに似ているなあと思いました。 2~3日たって、「そうだ! お祭りだ!」と気がつきました。 「お祭り」 異様な熱気と興奮の中で、私たちの中にある荒々しさ、アグレッシブなエネルギーが爆発し、歌や踊り、酒というものがそれをたきつけていく。 地域のお祭りというのは、神事ではあっても、実は合法的にそういうエネルギーを発散させ、参加者の絆を強める賢い仕掛けでもあったんじゃないか、と私は感じるのです。

 今、みなさんの地域の子ども会でも、昔の子ども祭りのようなものがすっかり勢いがなくなって、ただおとなのおぜんだてに、乗っかっているだけ…という状態で、それを嘆いている人もいるのではないでしょうか。 でも、おとなにしろ、子どもにしろ、昔のお祭りは神事というような穏やかなものではなく、だからこそ子どもたちにとっても興奮する楽しいものだったようです。

 私が住んでいた信州では「どんど焼き」のことを「三九郎」(さんくろう)と言って、30年前頃まではほとんど子どもにまかされたお祭りだったようです。 各地区の子どもがまず、中心に立てる竹を取ってきます。 取って来ると言えば聞こえはいいですが、前の年からめぼしをつけておいた高くて格好のいい竹を、夜中に盗ってくるんです。 その竹の周りにだるまやお飾りをつけたら、横に枝やわらで作った小屋を立てて、三九郎の日まで子どもたちが交代で寝ずの番をするのです。 というのは、自分たちのところより立派な竹を立てている地区があると、夜中に襲って盗むというのです。 すごいでしょう。

 子どもたちが代々そうやって来ていたのですが、ある年、寝ずの番をしていた子どもたちが、小屋の中で火をたいてお餅を焼いていたのが燃え移って、子どもが亡くなるという出来事があり、それから様々な制約が起こって、あっという間に子どもの行事ではなくなってしまったということです。

諏訪の「御柱(おんばしら)」というお祭りも皆さん知っているでしょう。あの時期は、諏訪市周辺は会社もみんな休みになり、観光客も押し寄せ、町中が興奮状態になります。 そしてほぼ毎回、山から引き摺り下ろす大木の下敷きになって、死者が出るのです。

 それと似たことが成人式で起こっていいわけはありません。 重ねて考えるのは不謹慎かもしれません。 でも何か、あの画面に出ていた若者たちが、合法的に力をふるい、かっこよくアグレッシブであることが許される場を、取り戻すことってできないのかな、なんて思った成人式でした。


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